0.導入
さまざまな事業開発の困難を乗り越え、ようやくリリースにこぎつけたのに商品やサービスが売れない――。新規事業開発では、しばしば起こる悲劇です。こうした事業開発でつまずきがちなポイントを、毎回テーマごとに基礎から解説する「今さら聞けない新規事業開発のキホン」セミナー。今回は、30社以上のスタートアップのマーケティンググロースに携わってきたAXL MARKETING STUDIO スタジオ長の堀田遼人が、その実践知にもとづいて、事業立ち上げ期のマーケティングのポイント、セオリーをお話しします。
1.サービスの「価値」が顧客に伝わらなければ「売れない」
何度も審査を受けて投資判断を仰ぎ、数えきれないほどの社内調整や既存事業との折衝を経て、ようやくこぎ着けた新規事業のリリース。しかし、まったく売れない……。
絶対に避けたいことではありますが、一定の割合で起こり得る悲劇です。こうした事態を未然に防ぎ、期待どおりの成果を上げるには、どうすればよいのでしょうか。
結論からいえば「リリースしたけど売れない」最大の原因は、サービスが提供する「価値」が顧客にちゃんと伝わっていないことにあります。
マーケティングの役割をあえてシンプルにいえば、「売れるものをつくり、つくったものを売る」ことにほかなりません。
顧客課題を解決する「価値」をサービスに凝縮し、適切なクリエイティブとチャネルでその「価値」を顧客に届ける。こうした一連のプロセスをスムーズに回すことがマーケティングの役割です。
では、サービスの価値を顧客に伝えるために、新規事業の責任者・マーケティング担当者は何を考えるべきなのでしょうか。昨今のマーケティング界隈には、さまざまな王道のフレームワークやメソッドが溢れています。
例えば、カスタマージャーニーマップというフレームワークを使う場合、顧客の行動を「課題・興味関心」「情報収集」「評価・比較検討」「購入」「共有・拡散」に分け、それぞれのフェーズのインサイトに合わせたコンテンツやメディア施策を打っていきます。
しかし、どんなフレームワークも万能ではありません。カスタマージャーニーマップの場合、
- 認知→購入→ロイヤル化→共有までを一貫してプランニングできる
- 施策全体を俯瞰的に確認できる
- 顧客の行動や気持ちの変化と施策を結びつけられる
などのメリットがあるいっぽうで、
- 顧客セグメントを絞りすぎてしまう
- 顧客の行動が直線的だと勘違いしてしまう
といったデメリットもあります。
たとえば、顧客にメールマガジンを送ってナーチャリング(購買意欲を育成)する場合、そのコンテンツが顧客一人ひとりへの価値訴求につながっていなければ効果はありません。また、顧客は必ずしもメルマガを読んだ直後に購入にいたるわけではありません。
しかし、顧客に対するコンテンツの精度を上げたり、他のコミュニケーション施策との合わせ技によって「価値訴求」がしっかり醸成できていれば、その顧客はいずれどこかのタイミングでサービスを購入する可能性があるわけです。
つまり、王道のフレームワークを使うことも大事ですが、それ以前に、顧客の課題や欲求に刺さる根本的な「価値」をあらためて認識することが重要になります。リリースしても売れないサービスは、この「価値」と「施策」の関係性が曖昧になっている可能性があるのです。
2.Who(誰に)、What(どんな価値を)を固めてから、How(どう伝えるか)を考える
では具体的に、どのように顧客への価値を整理し、訴求していくのでしょうか。新規事業のマーケティングでは「Who(誰に)」「What(どんな価値を)」「How(どう伝えるか)」という仮説を立て、高速で検証することが重要です。
「Who(誰に)」は顧客セグメント。マーケティングにおける重要な要素であり、振れ幅の大きい変数でもあります。
顧客は一人ひとり個別の存在であり、それぞれにカスタマージャーニーがあります。しかし、個々にセグメントすることは不可能なので、似たタイプの顧客から最大公約数的な特徴を抽出して「顧客セグメント」にします。
この「Who」に「What(どんな価値を)」を組み合わせたパターン(ユースケース)をたくさんリストアップしたうえで、5~7つ程度に絞り込み、それぞれに対して「How(どう伝えるか)」を考えていくのがマーケティング戦略の基盤となります。
「Who」「What」の組み合わせを考えるためには「ユースケースマップ」がおすすめです。これは、1つのサービスに複数のユースケースがあることを前提に、サービスのどの部分が「誰」のどういった「課題」を解決する提供価値を持っているかを整理したものです。
下記は、民泊のオンラインマーケットプレイスを運営する「Airbnb」のユースケースマップ例です。
例えばAirbnbでは、20〜40代のコストパフォーマンスを重視する旅行好き向けには、「ホテルよりもコスパよく宿泊できる」という価値を提供しています。
さらに、出張の多いビジネスパーソン向けには、テレワークのための「Wi-Fiや机・椅子などの設備が整っている」こと。長期出張・滞在の人向けには、「ウィークリー / マンスリーマンションの代替」としての価値を提供しています。
最終的にリストアップしたユースケースから5~7つ程度に絞り込むにあたっては、「顧客と課題の関連性(ペインかゲインか)」「課題のインパクト(変化やコスト)」「競合との差別性(オリジナリティー、優劣)」などの観点から優先度をつけていくとよいでしょう。
3.新規事業のマーケティングに必要な5つのステップとは
ユースケースの絞り込みができたら、それぞれに「How(どう伝えるか)」を組み合わせて、マーケティング施策を実行。検証サイクルを回していきます。ステップは次の5つになります。
- 施策全体のポートフォリオを組む
- 最初にWho & Whatを検証する
- 中長期施策の仕込み
- Howの仮説検証を繰り返す
- 小さく生んで、大きく育てる
①施策全体のポートフォリオを組む
まずは思いついた「How(どう伝えるか)」を2軸4象限のマトリクスに並べていきます。横軸は「スケーラビリティ」で、縦軸は「効果が出るまでの時間」を表します。
即効性があってスケーラビリティの大きな施策(右下)を優先するのが一般的ですが、右下の施策はそのぶんコストが大きかったり、単発的で持続性に欠ける部分もあります。
そのため、即効性には欠けるが長い目で効果が期待できる施策(右上)(左上)も同時に実施し、全体コストのバランスを取りながら、短期的にしっかり顧客を獲得しつつ、中長期的にはコストパフォーマンスの良い施策を回すといったポートフォリオを設計します。
また、それぞれの施策の効果をチーム内外で共有し、認識をそろえるには、「ステージゲート方式」によるステータス管理が有効です。
たとえば「未検証」「検証中」「拡大中」「定常化」の4つのステージをつくり、次のステージに上がるための達成基準(ステージゲート)を事前に定めます。
定期的に施策の効果をモニタリングしつつ、弱い施策はストップし、効果的な施策はステージを上げながら、最終的には定常化することで、効率的な運用を目指します。
②最初にWho & Whatを検証する
ユースケース(Who & What)に対して施策(How)が定まったら、コピーやバナーデザイン、LPなどのクリエイティブに落とし込み、本当にそのユースケースに需要があるのかを検証していきます。短期的に検証しやすいSNS広告などの施策に固定して行うのがおすすめです。
たとえばオフィス向けのお弁当の宅配サービスであれば、
- 人事担当者に向けた「健康経営を実現する福利厚生サービス」
- 総務担当者に向けた「お弁当手配業務の効率化サービス」
などのユースケースが考えられます。
これらに対して同じ施策でフラットにテストすることで、どのユースケースに一番需要がありそうかを検証します。
③中長期施策の仕込み
①でご説明した「即効性には欠けるが長い目で効果が期待できる施策」も可能なタイミングで早めに実施しておきましょう。SEO対策などはコンテンツの質だけでなく数も重要になるので、年度末予算などが余った際にコストをかけて実施しておくとよいでしょう。
④Howの仮説検証を繰り返す
②のWho & What検証を経て、勝ち筋のあるユースケースに絞り込めた段階で、はじめてHowの仮説検証を行います。
注意したいのは、必ず②の後に④の検証を行うべきという点です。Howの手法は「コンテンツ×チャネル」の組み合わせで非常に多くあるため、ユースケースが定まっていない段階でHowの仮説検証を行うと、検証ボリュームが膨大になって作業がオーバーフローしてしまいます。
過去事例として、法人向けのオンライン動画研修サービス「NewsPicks Learning」のマーケティング戦略策定のケースをご紹介します。
同サービスのユースケース(Who & What)として想定したのは、
- 人事部門向けに「DX人材育成ソリューション」として価値訴求
- 人事部門向けに「リスキリングソリューション」として価値訴求
- 営業部門向けに「営業人材育成ソリューション」として価値訴求
- 事業開発部門向けに「起業人材育成ソリューション」として価値訴求
などがありました。最終的に、
- 人事部門向けに「DX人材育成ソリューション」として価値訴求
- 事業開発部門向けに「起業人材育成ソリューション」として価値訴求
に絞り込み、それぞれのユースケースに対してパーセプションフロー・モデルというフレームワークを使い、「課題認識」「興味」「比較・検討」「購入・検討」というフェーズごとの認識変化にあわせて、コンテンツとチャネルの組み合わせを設計しました。
⑤小さく生んで、大きく育てる
システム開発の世界では「ウォーターフォール型」と「アジャイル型」という2つの開発手法がありますが、マーケティングにもこの考え方が適用できます。
要件定義をしっかり行ったうえで工程や役割分担を洗い出し、数か月から1年の時間をかけて順番どおりに開発を進める「ウォーターフォール型」は、すでに安定的なシェアを獲得している既存事業の大規模なマーケティングプロジェクトに向いているかもしれません。
いっぽうでこれから勝ち筋を見つけていく新規事業のマーケティングにおいては、PDCAを1回転させるのに1年もかけていては機能しません。
むしろ新規事業では、アジャイル型で小さな成功と失敗を何度も繰り返し、多くの「PDCA=仮説検証」を繰り返して、成功確率の高い「勝ち筋」を見つけていくほうが得策なのです。
そのためには、今回ご説明した①②③④のそれぞれを何度も高速で繰り返し、仮説検証していくことが重要になります。
また繰り返しになりますが、仮説検証を迷いなく高速で回転させるためには、②のWho & What検証を経て、勝ち筋のあるユースケースに絞り込んでから④のHow検証を行うべきです。小さく生んで、大きく育てる。決して焦ってはなりません。
「自信を持ってリリースしたのに、なぜ売れないのか」と悩んでいる方は、今回の内容を参考にチャレンジしてみることをお勧めします。
著者について
堀田 遼人
AXL MARKETING STUDIO スタジオ長
株式会社リクルートに新卒入社し、不動産ポータルサイトの企画開発に携わる。その後、スタートアップ企業の株式会社スペースマーケットに参画し、上場までの3年でプロダクトマネジメントやマーケティング全般、上場後3年でBizDevやアライアンス、新規事業開発を担当。現在は、スタートアップ・新規事業のマーケティング支援に特化した株式会社A1Growthの代表を務める。また、マーケティングエキスパートとして株式会社アルファドライブに参画し、のインハウスマーケティング全般と、アルファドライブの支援先のマーケティング戦略から実働ディレクションまで担当。
坂村 聖佳
企業変革推進本部 マーケティンググループ ゼネラルマネジャー
学生時代に、創業直後のライフスタイルアクセント株式会社(Factelier)にインターンとして入社。 ファーストキャリアでは、日本上陸直後のWeWork Japanに入社。日本市場でのサービス立ち上げやローカライズ戦略策定・実行を推進しつつ、入居する数百社の企業を対象にしてコミュニティー構築・運営を担う。「コミュニティを起点としたイノベーション創出」を目的として、利用者同士のコラボレーションを促進するPJTを複数推進。 2021年9月、株式会社アルファドライブに入社。マーケティング領域全般を担う。これまでに累計300回以上のセミナー実施など、コンテンツ発信を中心としたマーケティング活動に熱を注いでいる。