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自身の研究成果を新規事業にキリン発「INHOP」の事業開発ストーリー

0.導入

 R&D部門での新規事業開発では、新技術・新素材の商用化が大きな関門になります。そこで、今回はキリンホールディングスの20年にわたるホップ研究の末に開発された独自素材「熟成ホップエキス」を事業化し、INHOPとしてスピンアウトした金子裕司氏をゲストにお招きしました。金子氏は、2009年にキリンビール入社後、研究開発職に従事していました。研究者の同氏が、研究成果を商品化させるまでにどのような仮説検証・プロトタイピングを行い、商用化、そしてスピンアウトに至ったのか。その事業開発ストーリーに迫りました。

1.事業化のきっかけは「熟成ホップエキス」の技術開発

 ビジョン「HOP for HOPE ホップの力を、みんなの希望に。」の通り、INHOP(インホップ)株式会社が取り扱うのは、ビールの主原料のホップです。
 そもそもホップは、紀元前から健康効果が知られ、世界中で活用されているハーブ素材であり、世界中で栽培され、ハーブとしては世界最大級の栽培量を誇るのだそうです。しかしビール以外の用途でホップが使用されることはこれまでほとんどありませんでした。一方、世界的なホップ産地・ドイツではホップを使った関連商品が多数販売されています。しかし、ホップは苦味が強く、嗜好性商品の開発が困難とされています。
 そんなホップの苦味を制御できないか。キリンは長年研究を重ねていました。金子氏もホップ研究に従事する一人。そして、苦味を解消する手段として辿り着いたのは「熟成」。ホップを熟成させることで、苦味を抑えた健康素材「熟成ホップエキス」を技術開発しました。同社のノンアルコールビール「キリン カラダFREE」も同素材を採用した商品の1つです。

金子氏は2009年キリンビールに入社以来、健康関連の研究開発に従事。前述の「熟成ホップエキス」と「キリン カラダFREE」の開発後、ホップの力を駆使して、健康課題を中心とした社会課題の解決に挑むINHOPを社内ベンチャーとして立ち上げ、代表取締役社長CEO兼CTOに就きました。
 すでにキリンビールやINHOP、グループ会社のファンケル等で、熟成ホップエキスを用いた菓子、飲料、食品・調味料、サプリメント、化粧品らの商品群が開発され、国内で展開されています。金子氏は、「ホップのさまざまな価値・魅力をお客様に伝え、ホップで健康課題を中心とする社会課題を解決したい。その上で、新しいホップのエコシステムを創っていきたい」と展望を語っています。

2.INHOP事業化につながった「カラダFREE」商品化の経緯

 INHOPの事業化は「キリン カラダFREE」の商品開発が大きな転機になっています。そこでAlphaDriveの古川央士が、「キリン カラダFREE」商品化の経緯から、INHOP立ち上げの背景、さらには「研究者が事業オーナーに転身する際の心得」についてお聞きしました。

──まずは「キリン カラダFREE」の商品化の経緯について、お教えください。

「キリン カラダFREE」の特徴は、機能性表示食品のノンアルコール・ビールテイスト飲料であることです。しかし、熟成ホップエキスという素材ができたから直ちにプロダクト(キリン カラダFREE)が発売されたわけではありません。先行して別の機能性表示食品のノンアルコールビールを開発・市場展開して、市場の反応を確認。マーケティングチームと連携しながら、「ノンアルコールビールを進化させていく」という視点で開発を進めました。この経緯があった結果、キリンビールの戦略や時代のトレンドにも合致した「キリン カラダFREE」が展開できたのでしょう。短期サイクル・中長期サイクルの2軸で開発と商品化を進められたことが、功を奏しました。

──なるほど。研究開発の視点と事業会社側のマーケティング戦略を組み合わせて考えたこと。そしてその時間をつくり出すために短期サイクルの商品も同時に市場展開させていったことが、研究成果が実装された大きなポイントといえそうです。

3.INHOPは「研究者が腰を据えて事業化まで携わる実験場」

──その後、熟成ホップエキスをビール開発以外にも広げていくため、INHOPが設立されました。

私自身の思いと組織的な動きが全てうまく重なった結果だと思います。私はキリンビール入社以来ずっと「ビールの健康機能を深堀りしたい」と思っていました。それを実現するには、おのずと主原料であるホップに触れざるを得ません。その結果が熟成ホップエキスの開発であり、「キリン カラダFREE」の商品化でした。
一方会社側では、熟成ホップエキスができたことをきっかけに、ホップの価値化、あるいはホップに携わった人たちに対する価値提案を行っていく流れができていきました。次に検討すべきだったのが、「どのように素材の認知を拡大してブランディングを図っていくか」でした。なので、世の中に存在する健康素材を色々とベンチマークし、参考になる素材や手法がないか、探索しました。

──健康素材の中でも、大きく認知を高めている素材も幾つかありますよね。

はい。その後、キリンホールディングス株式会社と株式会社電通がホップのブランディング法を検討していく中で、「ホップの可能性を最大限に引き出す事業体・うつわが必要」というアイデアが生まれました。これを形にするため、2019年10月15日、両社の合弁会社としてINHOPが誕生しています。

──この会社の動きを、研究者である金子さんはどのように捉えていたのでしょうか。

これまでに色々な健康食品の開発に携わってきましたが、「商品化が実現したけれどすぐに終売してしまった」「商品化一歩手前のところで頓挫してしまった」というケースが何度もありました。おそらく両手では数え切れないほどです。
研究成果を多くのお客さまに届けるには、既存事業の枠の中で商品化を進めることが多いと思いますが、市場環境やお客様のニーズによっては、商品化できなかったり、発売後間もなく終売したり、というケースがやはりあります。一方で、健康食品は、お客様に価値を提供するには長期的に摂り続けていただくことが望ましい側面があります。
そのため、お客様に自分たちの成果をお届けするには、研究者が「自分たちで(事業化まで)やる」という道が重要になると感じています。

──お客さまに、ホップを通じて健康になってもらうには、トレンドを気にしながら次から次へと商品展開するだけではなく、腰を据えた取り組みも必要である、ということですね。

もちろん企業の研究ですので、多くのお客様に価値をお届けすることは不可欠です。熟成ホップエキスに関しては、「キリン カラダFREE」を発売できていることが大きいと感じています。研究成果を事業に繋げているからこそ、INHOPのような実験的な取り組みが実施できているかと感じています。「キリン カラダFREE」がなければ間違いなくINHOPは立ち上がっていなかったでしょう。

4.toBとtoCの両面で「ホップの市場を拡大させたい」

──INHOP立ち上げ以降は、どのようなことに注力されたのでしょうか。

立ち上げ当初は熟成ホップエキスという素材だけがある状態で、商品はありませんでした。そのため、商品開発を行うところから始めました。とは言え、立ち上げ直後からコロナ禍が重なり、当初計画していた事業戦略は見直しを余儀なくされました。そのためBtoCの商品開発を進めながらもBtoB展開も進めていき、他社とのコラボレーションを重ねながら、関連商品の拡大を進めていきました。

──「箱があって素材はあるけど商品がない」という状態は、事業開発セオリーとしては、あまりよくありません。

その通りだと思います。ただ2020〜2021年の当社の情勢を考えると「箱になっていなければ、この取り組み自体がクローズしていた」とも思っています。

──当初から熟成ホップエキスの素材は、toBの事業者から見て魅力的だったのでしょうか。

実はそうでもありませんでした。一番の誤算は、想定していた以上にホップ自体が知られていないということでした。そのような状況ですから、当然、商品にホップが入ることの意義(価値)が分からないという反応が多かった。そのためtoBのお客さまやその先にある消費者の市場に対して、「ホップを使うことの文脈」を考える必要があり、それが最も苦労しました。

──例えば「乳酸菌が入っている」といわれれば「体によさそう」と思いますが、「ホップが入っている」といわれても、どんな効果があるのか分からない。たしかに他の健康素材と比較しても、2段階の説明が必要かもしれません。

そのため、自分たちでtoCを進めていき、お客様のホップ認知やニーズを高めていくことが不可欠であると感じています。今年の4月には、「働くアタマとカラダの脂肪に ホップ効果」という機能性表示食品の発売も始めました。この商品をフックに、機能的価値の伝達も進めてまいります。

5.研究者が事業オーナーに転身する際の心得

──最後に、金子さんご自身の思いについてお聞かせください。現在はINHOPのCEO兼CTOを務められています。研究者が事業オーナーになるのは、非常に大変なことだと思っています。実際はどうですか?

 日々、大変です。ずっと研究者だったので事業計画もPLもBSも分からないところからの転身でした。もし新規事業開発をゼロから行うというのであれば、それこそAlphaDriveさんに教えを請いながら進める形もあったのでしょうが、私の場合はすでに会社の立ち上げが決まっている中で、事業オーナーに任命されました。なので、OFF-JTではなく、実践に近しいOJTで学びながら進めてきた形です。社内の各部門に相談し、分からないことを聞いて回りました。
 一方で、これは個人的な見解ですが「研究者や技術者は新規事業に向いている可能性があるのでは?」と思っています。新規事業開発はある意味、仮説検証です。自分で仮説を立て、計画して、実験・実証して、PDCAを回していく。検証対象が、科学的な現象かビジネスかの違いはありますが、サイクルは同じではないでしょうか。もちろん、事業を進めるための財務や法務といった新たに学ばないといけない知見はたくさんありますが、研究者や技術者は、新規事業に必要なマインドや思考回路についてはすでに備えている人が多いのではないか、と思います。

──とはいえ、研究者の仕事は、研究所に閉じこもりがちなケースも多いかと思いますです。新規事業開発でお客さまのフィードバックを得るには「人に会いに行く」「外に出て行く」という素養が必要ですが、それらを身につけるには?

 研究成果を何かに実装するなら、人に見せなければ始まりません。研究所内や社内でのディスカッションや、学会発表や論文発表など、他の方に成果を伝え、フィードバックを貰った経験は少なくありません。なので、人に成果を伝える、という素養は皆さんお持ちのはずです。もし、一般のお客様にお伝えすることに抵抗がある場合は、社内から始められるのが良いかもしれません。
 検討している事業にもよりますが、私の場合、飲料や食品の開発を行っていたので、試作品を社内の人に試飲試食してもらうことが多かったです。社内であれば見知った関係なので、外のお客様よりも気軽にフィードバックを貰えますし、初期のお客様になる可能性もあります。もちろん、職場環境によるところもありますが、人に会うのが苦手な方は、身近な社内から始めてみるのがよいでしょう。

──最後に素晴らしい示唆をいただきました。本日はありがとうございました。

登壇者について

金子 裕司

INHOP株式会社 代表取締役社長CEO兼CTO

2009年にキリンビール入社。健康・機能性食品事業推進プロジェクト、健康技術研究所を経て、2019年より現職。入社当時からホップを中心とした機能性素材・食品の研究開発に従事。キリン独自素材「熟成ホップエキス」、同素材を搭載した『キリン カラダフリー』の開発を経て、2019年にINHOP株式会社を設立。

古川 央士

株式会社アルファドライブ 取締役 兼 COO

青山学院大学卒。学生時代にベンチャーを創業経営。その後、株式会社リクルートに新卒入社。SUUMOでUI/UX組織の立ち上げや、開発プロジェクトを指揮。その後ヘッドクオーターで新規事業開発室のGMとして、複数の新規事業プロジェクトを統括。パラレルキャリアとして、2013年に株式会社ノックダイスを創業。飲食店やコミュニティースペースを複数店舗運営。一般社団法人の理事などを兼任。社内新規事業や社外での起業・経営経験を元に、2018年11月、株式会社アルファドライブ執行役員に就任。リクルート時代に1000件以上の新規事業プランに関わり、10件以上の新規事業プロジェクトの統括・育成を実施。株式会社アルファドライブ入社後も数十社の大企業の新規事業創出シーン、数千件の新規事業プランに関わる。2023年より株式会社アルファドライブ取締役兼COO。

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