大手非鉄金属メーカーの三菱マテリアル株式会社は、2023年7月に新規事業創出を加速させるため、デンタルドア株式会社を設立しました。
デンタルドアが手掛けるのは、歯科健診のDX化を推進する「スマート歯科健診™」。三菱マテリアルが強みとする、⾮鉄⾦属の基礎素材や、半導体関連部品の開発など重工業に軸足を置いた事業とは、一見すると距離がある事業です。しかし、デンタルドアが誕生した背景には三菱マテリアルが新たな領域に踏み出すビジョンと明確な狙いがあります。
こちらの記事では、デンタルドアの概要や三菱マテリアルが新規事業に込めた想い、そしてその実現を支えたAlphaDriveのメンバーたちの熱意や具体的な支援内容について、キーパーソンたちのインタビューを通じて詳しくご紹介します。
デンタルドアCEO 國友新太様
長年にわたり新規事業開発に従事。幅広い技術的知識とマーケティングを効果的に組合せ数々のソリューションを創出。三菱マテリアルのアセットを最大限に活用し、医療分野における初めての本格的な取り組みとなるデンタルドア株式会社を設立。
デンタルドア COO 淺沼英利様
デンタルドア株式会社の名付け親であり、設立メンバー。三菱マテリアル入社以来、切削工具の材料開発に従事。欧州に留学しPh.D.を取得。専門はMaterial Science。現在、ヘルスケアに関する新規事業開発を担当。
三菱マテリアル ものづくり・R&D戦略部 部長 長友義幸様
1993年に三菱マテリアル株式会社入社。ハイブリッド車用パワーモジュール向けのセラミックス絶縁回路基板の開発・事業化に従事。2021年に本社・新事業開発部の新規事業室の室長に就任し、三菱マテリアルの新規事業創出に向けた施策を推進。2024年4月より現職。
株式会社アルファドライブ 執行役員 アクセラレーション事業責任者 加藤隼
2013年ソフトバンク入社、法人営業やJV立ち上げを経験。2019年3月アルファドライブに入社。累計35社、4000件超の新規事業プロジェクトに対する伴走・審査に携わる。2023年1月、執行役員 イノベーション事業/アクセラレーション事業担当に就任。
株式会社アルファドライブ アクセラレーション事業部 プリンシパルコンサルタント 金子祐紀
東芝でクラウドTVやメガネ型ウェアラブルなど様々な新規事業の立ち上げをしてきた連続社内起業家。 2020年にエイベックスとの合弁会社であるコエステを設立し、執行役員に就任。2022年よりアルファドライブにジョインし、累計50社以上、500以上の新規事業PJの支援に携わる。
歯の健康意識向上へ。開発者の想いに応えるべく、門外漢のヘルスケア事業を構想
──最初に、デンタルドアの事業について教えてください。
デンタルドア 國友新太様(以下、DD國友様):
現在の主力事業は、3次元デジタルスキャナを用いて口腔内をデジタルデータ化する新しい歯科健診サービス「スマート歯科健診™」の提供です。現在は、職場単位などの集団歯科健診をサービスの対象にしています。
具体的には、歯科健診時に歯科衛生士が3次元デジタルスキャナでスキャンした歯のデータをクラウドに保存し、受診者自身がスマートフォンでチェックできるサービスです。自分の歯や歯ぐきの3Dモデルを拡大・縮小・回転させ、直接見ることが難しかった口腔内を隅々まで確認できます。
このサービスには、大きく3つの特長があります。一つ目は、スマートフォンで手軽に歯科健診を予約できること。二つ目は、自分の歯の3Dモデルや健診結果を共有しながら、歯科医師とオンライン相談できること。三つ目は、虫歯の早期発見と予防のため、問診票と3Dデータをデジタル化して管理していることと、早期治療を促すために受診を勧奨するメールを配信することです。
これらの特長をもとに、歯の健康意識向上と受診者の行動変容、そして歯科健診のDX化の実現を後押しします。
──國友さんが「スマート歯科健診™」のもとになるアイデアを起案されたそうですね。構想に至った背景についてお聞かせいただけますか?
DD國友様:
私は、三菱マテリアルのマーケティング室で、新規事業の創出に向けた探索活動を担当していました。具体的には、自社の技術やリソースを棚卸し、社会のニーズに応える事業を創出できないか検討する役割です。その取り組みの中で、注目したのがヘルスケア領域です。
──自動車部品や半導体の素材を研究開発している三菱マテリアル様と、ヘルスケア領域は一見すると結びつかない気がするのですが、なぜヘルスケア領域だったのでしょうか?
DD國友様:
意外に思われるかもしれませんが、実は過去に金属加工技術を活用して、歯科治療の道具や、骨の再生素材の事業化事例があります。開発担当者に話を聞いてみると、「ヘルスケア領域の開発はやりがいがあり、とても面白かった」とのこと。その想いを継承したいと思いました。
ヘルスケア領域と言っても幅が広いので、自社技術の活用と社会のニーズの両方を満たせる領域を絞り込んでいきました。そして、たどり着いたのが「歯」でした。
自社技術に関しては、三菱マテリアルの高精度な金属加工技術を歯科治療などで活用できる見込みがあります。社会のニーズという意味では、政府が「国民皆歯科健診」の導入を掲げるなど、これから歯の健康がますます重視されるだろうという機運を感じていました。
また、従来の歯科健診は紙ベースでの情報提供が主流で、デジタル化が進んでいない領域なので、新しい価値を創造できる余地が大きいと考えました。これらの理由から、ヘルスケア領域の中でも「歯」に焦点を当てることに決めました。
新規事業のアイデアを形にするため「仕組みづくり」に着手
──デンタルドアは、三菱マテリアルの社内で生まれた新規事業初のカーブアウト事例になったそうですね。その実現を後押しした背景の一つに、新規事業創出の仕組みを整えるための「マネジメントガイドライン」の策定があったと伺っています。マネジメントガイドラインの内容についてお聞かせください。
三菱マテリアル 長友義幸様(以下、MM長友様):
マネジメントガイドラインは、新規事業を円滑に進めるための手順やルールをまとめた指針です。具体的には、新規事業のアイデアを生み出すところから、その事業を実際に市場に投入するまでのプロセスを、いくつかの段階(ステージ)に分割。各段階を進むためには、特定の目標や基準(ゲート)をクリアする必要があります。
一つ一つのステージを順番に進み、要件を満たしてゲートを通過していくことで、最終的に事業化を目指します。この「ステージゲート」の手法を、自社の特性や業界の特性に合わせてカスタマイズし、新規事業を効果的に推進するためにマネジメントガイドラインを策定しました。
──なぜ、マネジメントガイドラインの策定が必要だと考えられたのでしょうか?
MM長友様:
最終的に事業として形にするための会社全体の仕組みが不十分で、なかなか事業化に結びつかないという課題があったからです。
近年、当社の経営方針として、研究所の技術起点で新規事業を進める方向性と、市場起点で新規事業を起こす方向性の2つの動きが活発になっていました。ちなみに、國友が所属していたマーケティング室は後者です。全社として「新規事業をやりましょう」という旗振りのもと、社員のマインドセット改革も含めて、様々な取り組みを行っていました。
私は、長年研究所に在籍しながら新規事業開発を担当していたのですが、アイデアの創出から事業化までの仕組みがないと、研究成果を社会実装することは難しいと強く感じていました。
本社で本格的に新規事業開発を担当することになり、改めて色々と調べていたところ、AlphaDrive CEOの麻生要一さんの著書『新規事業の実践論』に出合い、ステージゲートの考え方を知りました。当社に必要なのはまさにこの仕組みだと確信。とはいえ、ノウハウがないので、AlphaDriveに仕組みづくりの支援を依頼することにしました。
──加藤さんは、マネジメントガイドライン策定の支援を担当されました。どのような点に注力して支援されましたか?
AlphaDrive 加藤隼(AD加藤):
私たちは、これまで100社を超えるクライアント様に対し、新規事業開発のマネジメントガイドラインを設計し装着するご支援してきました。豊富な実績の中で蓄積された「型」はありつつも、本当に機能する仕組みにするために、各社の特性に応じて、個別で最適な設計を行っていくことが重要です。
三菱マテリアル様の事例で工夫した点は、大きく2つあります。一つ目は、リスクを抑えながら新規事業開発をマネジメントするための仕組みを設計することです。ステージゲートを設計する上で、どのタイミングでどのような取り組みをするべきか、活動の定義を作成しつつ、次のステージに進むために何を満たすべきかという評価基準・審査基準も策定しました。
二つ目は、各フェーズでどれくらいの期間や工数、資金を投入すべきかを設定したことです。新規事業は「多産多死」という言葉で語られるように、多くのアイデアやプロジェクトを生み出し、その中から成功の可能性が高いものを選別して育てるというアプローチがセオリーとされています。しかし、三菱マテリアル様は非鉄金属メーカーで、かつハードが絡む事業の割合も多いので、最小限の投資金額の桁が大きいケースが多く、「軽くはじめて、すぐに試すこと」に限界があります。
その制約がありながらも、「大きな投資をしたからこそ引き下がれない。その結果、多額のお金と時間を費やしたものの、ビジネスとして成立しなかった」という事態にならないようなステージゲートの設計を意識しました。
AlphaDriveはステージゲートのベストプラクティスを保有していますが、三菱マテリアル様にそのまま展開することが難しい部分も多々ありました。そこで、長友さんたちと議論しながら、三菱マテリアル様に最も適したステージゲートの設計を進めました。
新規事業に失敗はつきものですが、一つの失敗が痛手になりすぎないように、「うまく失敗できる」設計に仕立てることができたのは、AlphaDriveがこれまで多くの企業様を支援してきた実績に裏付けされたノウハウがあったからだと考えています。
──デンタルドアは完成したマネジメントガイドラインに則って、事業化を進められたそうですが、國友さんはマネジメントガイドラインの効果をどのように感じられましたか?
DD國友様:
アイデア自体はマネジメントガイドラインが公表される前から練っていたのですが、事業化するには何をどうすれば良いのか整理ができたことは大きかったです。会社として何をゲートに設定しているのか可視化されたことで、やるべきことが明確になったと思います。
社内調整やパートナー交渉を乗り越える鍵になったプロのメンタリング
──AlphaDriveはもう一つの支援として、豊富な実践知を持つリードコンサルタントが伴走し、共に起業家人材を育成しながら新規事業開発を行う「メンタリング」で、國友さんに伴走されていたそうですね。リードコンサルタントを担当された金子さんは、どのような支援を展開されていたのでしょうか?
AlphaDrive 金子祐紀(以下、AD金子):
私は、前職の東芝で様々な新規事業を立ち上げてきたので、大手企業の社内で事業を立ち上げる大変さをよく理解しています。そのため、支援の初期は基本的には壁打ち相手として、國友さんの相談に乗っていました。
ソリューション検証までは國友さんがご自身でだいぶしっかり進められていましたので、私はその次の財務面から本格的に支援を開始しました。ビジネスモデル構築、ユニットエコノミクス検証、市場規模試算などを経て事業計画を作成し、それをしっかりと経営層に示すことが事業化のスタートラインです。そして今回、この事業をカーブアウトさせて会社化したいという話になり、会社化に向けた論点の整理と社内の関係各所との調整のための材料の準備に着手しました。
会社を設立する場合、持ち株比率をどうするのか、資本金をいくらに設定するのか、メンバーの待遇はどうするのか(出向させるのか)、資産や設備を持ち出してよいのかなど、様々な検討事項があり、起案者側は経営層が納得する計画を練る必要があります。
──例えば、どのようなアドバイスをされたのでしょうか?
AD金子:
まず論点を洗い出し、國友さんと議論しながらひとつずつ固めていきました。そして私からは「この段階でこういうツッコミが入ると思うので先に話しておいた方がいいですね」みたいなアドバイスを都度させていただきました。
「大企業からカーブアウト」と言葉にすると簡単なように聞こえますが、実際は専門的で細かな社内調整が次々と出てきます。私自身、会社を設立した経験があり、大企業からのカーブアウトも経験していますので、要点を押さえることができます。そのため、重要なポイントをお伝えしました。
メンタリングでは毎回多くの宿題を出させてもらいましたが、次のミーティングまでにほぼ完璧に宿題が完了している状態になっていたので、その本気度に感心しました。デンタルドアは私の知る限り、最速に近い約半年というスピードでカーブアウトを果たした事例ですが、國友さんと淺沼さんの熱意と迅速な対応なくしては、このスピードでは難しかったと思います。
──國友さんと淺沼さんは、金子さんのメンタリングで印象に残っていることはありますか?
DD國友様:
当社にとってヘルスケアは未知の分野であり、社内からは不安の声も上がりました。例えば、個人情報管理や特定個人情報の漏洩、スキャナーで口腔内を傷つけてしまったときの責任など、様々なリスクをどう回避するのかという声などです。その不安に対して、事例や省庁のガイドラインを用いて丁寧に説明を重ね、社内の理解を得ることに注力しました。
この取り組みを後押ししてくれたのが、金子さんの「ポジティブな意見だけでなく、ネガティブな事例や意見を大切にすべき」というアドバイスです。理解を得るためにもっと取り組まなければならない、より真剣にネガティブな意見に向き合わなければならないという思考を持つことができたからこそ、「社内の理解を得る」という壁を乗り越えることができたと思っています。
デンタルドア淺沼様(以下、DD淺沼様):
「スマート歯科健診™」をサービス化するにあたり、口腔健診の計画や活動を展開しているパートナー企業との協業スキームを構築することになったのですが、金子さんの的確なアドバイスによって、自信を持って進めることができました。
もし、交渉がうまくいかなかったり、協業そのものが頓挫してしまったりすると、事業化の遅れにつながってしまいます。そうならないために、適切な進行も金子さんのアドバイスで事前シミュレーションでき、協業スキームの構築に役立つという安心材料になりました。
デンタルドアを「布石」に技術を結集し、新たな領域を開拓したい
──では、最後にデンタルドアのお二人と、三菱マテリアルの長友さんから今後の目標について教えていただきたいと思います。
DD國友様:
ここ数年で、歯に対する世の中の認識が大きく変わってきたと思います。口腔内の菌が全身疾患を引き起こす原因になり得ることが医療的にも明らかになり、また「歯を美しく保ちたい」という意識の高まりもあります。時代の流れ、国の施策、人々の意識の高まりが一致しているいま、「スマート歯科健診™」の基盤をしっかり構築することが目標です。
その上で、三菱マテリアルが保有する技術を集めて、新たなサービス展開を創り出したいと考えています。その意味で、「スマート歯科健診™」は、三菱マテリアルが新たな領域で可能性を広げる「布石」のような事業になると思っています。
既存事業からの「染み出し」ではなく、まったく新しい事業に技術を結集させ、融合させていく。デンタルドアは、その第一弾になれるよう、「スマート歯科健診™」の成長を証明し、三菱マテリアルの他の部門と積極的に連携を図っていきたいです。
──ちなみに金子さん、この「布石」に関して、どのような可能性を感じていらっしゃいますか?
AD金子:
私がいま支援している別のチームでは、三菱マテリアル様の技術を起点に、デンタルドアとの連携を想定した新たな事業がすでに生まれつつあります。まさに、デンタルドアが布石となり、三菱マテリアル様の技術が結集する可能性の芽が出始めていると言えます。
私はこれまで数多くの新規事業プロジェクトを支援してきた中で、最適な技術同士をつなげることで新しい可能性が生まれる瞬間に立ち合ってきました。この技術とこの技術をつなげると新たな価値が生まれるのではないかという観点を持ちながら、これからも皆様のお役に立てればと思っています。
DD淺沼様:
デンタルドアがやろうとしていることには、ビッグデータビジネスも含まれます。健診データは単純に個人の健診情報ですが、歯型データが継続的に蓄積されるので、歯型を活用した新たなビジネスが生まれると考えられます。
将来的にはデンタルドア内で健診事業部や加工事業部を設立し、事業部制に移行することも視野に入れています。例えば、ビッグデータビジネスの観点から、AIを活用して歯の将来の健康予測を行うなどの展開も想定しています。
また、健康な状態のデータを持っていれば、突然歯を失ってしまった方の治療時に、そのデータを使って3D CADで義歯を作成することもできるでしょう。それにより、三菱マテリアルの金属加工の技術と掛け合わせて、義歯をつくる事業など新たな広がりも考えられます。こうした展開を早急に描けるように、足元のサービスの拡充と普及を進めていきたいです。
MM長友様:
一つの会社をカーブアウトできたことは非常に大きな成果です。これを多くの社員に知ってもらうことで、組織風土の変革や経営的な視点の調整といった波及効果も期待しています。
同時に、私としては当社が非鉄金属の素材メーカーである以上、素材に根ざした新規事業を生み出したいという念願があります。しかし、素材系のスタートアップはそう多くありません。その背景には素材開発が時間のかかるプロセスであることが影響しています。開発期間の長さが、スタートアップが踏み込むのを躊躇させる要因にもなっています。そのためには、現在のマネジメントガイドラインを改善したり、オープンイノベーションを実施したりする必要があると考えています。
日本の素材産業は、まだグローバルで強みを発揮できる分野だと考えています。当社が世界に向けて素材系の新規事業を発信するためには、素材特有の開発に伴う課題を克服する必要がありますが、総合素材メーカーのリーディングカンパニーとして、プレゼンスを発揮していきたいと思います。
※インタビュー内容、役職、所属は取材当時のものです。
執筆・編集:末吉陽子
写真:関口佳代